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「123456789」と数字のみが記された資料ページで、題名・日付・本文内容などの具体的な情報は確認できない。
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二月五日から七日の記録で、ロシア征討の詔拝受、聯合艦隊の出港、八口浦沖で第四戦隊と集合したことを記す。
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二月八日・九日の艦隊行動予定を記した資料。仁川港口・旅順口・大連湾への進行、駆逐艦隊の突撃、第三戦隊の偵察が書かれている。
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三月十一日発電の報告で、徳島・朝霧らが旅順口偵察・敵艦襲撃を行い、悪天候により青島仮泊、八口浦へ退却した経過を記す。
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二十二~二十三日の旅順口第一回閉塞と、二月二十五日の第二回砲撃に関する記録。報国丸・天津丸等の閉塞、旅順港内砲撃が記される。
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三月十四日・二十二日の老鉄山方面からの旅順港砲撃記録。第一艦隊の進行、駆逐艦戦、死傷者、第三・第四回砲撃の状況を記す。
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三月二十六日出港後の第二回閉塞作戦に関する記録。旅順口へ閉塞隊四隻が進入・爆発し、広瀬中佐、杉野兵曹長らが戦死した。
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四月十三日のベアトロ、ホロスク戦況報告。城頭山下・唯薄湾砲台下への水雷布設、敵艦撃沈、死傷者十三名などを記す。
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「第五回」資料で、四月十五日の旅順口砲撃と五月一日出発の第三回閉塞隊が記される。日進・春日による射撃や所属艦名を含む。
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荒天下の港口突入と第二軍護衛上陸、塩太澳・大山湾での掃海被害を記す資料。五月十二・十三日の沈没や死傷者数も記載。
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明治期海戦記録の一頁で、五月十四日の吉野・春日衝突と、十五日の初瀬・八嶋沈没、龍田・笠置の救助および死者数を記す。
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五月十六日の大嶋沈没、五月十七日の哨艦暁沈没について、原因・地点・救助人数や死亡者数を記す資料。
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五月二十九日の金州城占領から六月十三日までの軍事行動記録。南山占領時の鳥海艦長死亡や台南丸での水雷発火事故などを記す。
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六月二十三日の敵艦隊出動に関する記録。敵艦十一隻、駆逐艦七隻、水雷艇数隻が老鉄山下を過ぎ沖へ出た経過を述べる。
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艦隊戦の経過記録で、南方進行中に敵艦隊が老鉄山へ転回し、夜間に駆逐艦・水雷艇で総襲撃を行ったことなどを記す。
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七月四日の海門沈没(水雷接触、死者二二名・負傷者六名)と、七月十三日の満州軍司令官到着・大連湾上陸予定を記す資料。
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七月二十五日・二十六日の記録。第三軍進軍への応援派遣、旅順艦隊の大孤山方面砲撃、第五・第六戦隊の応援と千代田被雷が記される。
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七月二十七〜二十八日の敵艦隊砲撃と第六戦隊・春日・日進の応戦、八月二日の富士船載水雷艇行方不明を記す資料。
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八月十日の出動戦に関する記録。敵艦隊出港の報を受け全艦艇が出動し、九千メートルから砲戦、夜まで追撃した経過を記す。
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日没後に水雷艦・駆逐艦で襲撃し、山東岬角・音嶋沖で脱走を阻止した経過。翌朝、春日や第三戦隊が敵駆逐艦・アスコリツトを追撃した。
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八月十一日の敵艦港内帰投の報知と、「アスコリド」「ノウィーク」追襲後の見失い、各艦隊の配置・待命状況を記す。
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「降伏について」と題する記録で、八月十七日の降伏交渉、九月三日の連島・平遠沈没と収容者・死者数が記されている。
23
十月十一日の春雨触雷事故、十一月六日の愛岩座礁、十一月十七日の葉韶爆発について、救助状況や死者数、調査報告、敵艦処分命令が記されている。
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水雷艇六十六号、済遠、敵亜の水雷触雷・沈没被害の記録。日時、地点、救助艦、収容者数、死者数が記されている。
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十二月九日以降の旅順港内艦艇状況と水雷艇攻撃の記録。ポルタワ等の沈没、シバステポール出港、明石の触雷損傷が報告されている。
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高砂沈没に関する記録。十二月十二日、高砂が壇城島東方で浮流機雷に触れ、音羽が救助したが沈没、死者三百十五名と記す。
27
「1980.00」と「THE」、記号のような「}1」のみが記されたページで、資料内容を示す本文情報はほとんどありません。
28
高砂の乗組員数を記した資料。士官以上21名、准士官4名、下士56名、兵194名、傭人8名の合計283名、生存者146名とある。
29
旅順方面に所在する部隊の配置を示す資料。第一・第五位置における第十五、第十四、第二、世祖隊や第三班隊、「ホルタワカラ」が記されている。
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第二露艦隊および浦塩艦隊の指揮官名を列挙した資料。ロジェストヴェンスキー中将、スタイドロフ中将らの名が記される。
31
「病院舟 アリヨール」と記された資料。病院舟の名称として「アリヨール」が示されている。
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旅順要塞防御軍司令部の編成表で、大将ステツセル以下、参謀長ロスナトワスキー、要塞司令官スミルノフら各職・部隊長名を列記している。
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「AMENT」と記号「}}」、番号「10022」のみが記されたOCR本文で、資料内容や日付・作成者を示す情報は確認できない。
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「100」が反復して記されているだけのページです。具体的な題名・日付・内容を示す本文は確認できません。
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「200」「1,.」「4,4」といった数値・記号のみが記された断片的なページで、資料内容や文脈は本文から判別できない。
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「十三甲砲坪」「八甲砲熕」「十五糎」等の数量を列記し、艦隊編制、旅順占領隊準備、敵第二艦隊対策などを記したメモ。
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昭和十年五月二十七日発行の海軍有終会資料 No.415。吉野大島衝突の件、龍田蒼桑之里照の件が記載されている。
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「10.00198」とだけ記されたページで、本文中にタイトル・日付・人名・艦名や内容説明は確認できない。