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1903年(神武天皇紀元二千五百六十三年)の日記冒頭。毎日必ず日記を怠らずにつけることが記されている。
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年中行事の一月記事で、四方拝、新年の詩歌、摂津阿部野祭、初日の出・雪見名所、漁猟案内、季節語や食品月令を記す。
三月一日からの断片的な日誌で、東京行きや訪問不在、久保田・山本直・前原里流氏の来訪、在宅や気候が記されている。
壬辰・癸巳の訪問記録で、二十日に原・小原・駿河谷へ行ったこと、新年宴会、午後三時二分の帰壇などが記される。
十一日から十五日頃の雑記で、山中磯喜氏来訪、東海氏滞在、夜雨などを記す。「新高、武蔵」の件や各種試験命令にも触れる。
昭和三年四月一日前後の日記・覚書。朝日へ行く無線電信の件、新高の件、久保田氏訪問や家の依頼に関する記述がある。
十一日・十日の晴天の日記。東海瓜帰京、牧域一家の件、銀行で三十円引出し、新高・武藏の材料検査、姉上来宅などを記す。
判読不能箇所が多い一月三十日の記録。村田王、家賃五、二五、午後の移戦、新野田区店への依頼など断片的事項が記される。
六月十四日(水)の日記風メモで、女保田氏来訪、善徳寺、新高や融通艦ホーカナリ、電気、磯寄訪問、買い物等を記す。
桂王・慶応元年・正平六年・承応二年などの断片語句や「ユーフライト試験」「十月十七日」等を列記したメモの一ページ。
十月十八日・十九日の天気と訪問記録の断片。高瀬訪問、武藏の報告、山本・前原らの来訪、ユウノライト試験などが記されている。
水曜日、一月十二日、十二月一日の日記断片。新恵・西源管清の件、原氏の来訪、俸給銭金九六歩の受領などが記される。
判読困難な箇所が多い断片資料で、「山本氏」「新左衛門の倅、八章小兵衛」、通信の件や肥後飯油試験終了などの記載がある。
一月二十五日・二十六日ほかの日記断片で、柴岡氏・山本省一一氏らの来訪、手紙、講習会出席、教育や魚・玉子の件が記されている。
明治廿九年頃の雑記・日記断片。衆議院での新條例発行停止廃止可決、北海道庁札幌設置、十二月七日・十六日の腹痛や書状発送を記す。
判読不能箇所が多い資料で、「郡 李」「雄 雪」等の注記、詩句・名簿・日付が混在し、「十二月十九日」「水曜」などが読めます。
1月13日の孝明天皇祭に関する断片的な日記風資料。天候、来訪、平賀への納め、助氏との申込みや帰朝委任などが記される。
二月の年中行事、立春・初午・紀元節、祭礼や梅の名所、漁猟案内、季節語、食品月令、和漢詩句などをまとめた資料。
三月二日壬戌の記録で、列国衛生会議や海底電信線、大田水天社での八夜山講話予定変更、原氏への返書などを記す。
11月14日、4月2日、5月29日などの日付と時刻、金額が記され、水交社での講話や諸準備に関する断片的なメモ。
表紙に「清波沼線」「緑影線」等の記載があり、講話、六月二日土曜の新商の件、朝日電認許、竹下亀氏来宅などを記した資料。
本文は判読不能で、現代日本語訳を作成できない資料である。内容・日付・人名・艦名などの具体事項は確認できない。
「P(山枕)」と題する断片的な文章で、賊や縦軸、乾蒼などの語句に加え、大日本帝国憲法公布(三年)や征清軍・寧海軍等が記されている。
暗唱文や年次の断片に続き、六月五日・九月十四日などの訪問、出発、費用、友人館木四郎氏との会合を記した雑記です。
二月十六・十七日の記録で、鈴木氏らとの訪問・集会、久保田氏の手紙持参、今井中ほかの悪口への注意などが書かれている。
明治二十八年の清征第二軍・聯合艦隊への勅語や、小松宮薨去、二月十八・十九日の雑記、新高倉庫・水雷標的の件が記されている。
金曜日から土曜日にかけての雑記で、新宿倉庫、五月二日の進水、水雷煙雨、体調や来客、手紙送付、人名などが記されている。
OCR抽出結果の大部分が判読不能な海軍関係文書。確認可能な語句として「六八号下り、砲座ノ件」「兵庁へ協議」や日付断片がある。
三月二十八日から四月四日頃の断片的なメモで、午後の外出、芦田氏来訪、六八号下品や小堀氏に関する事項が記されている。
五月五日・四月五日の記録で、病気で外出したことや中村豫氏らの来訪、朝に満夜へ行き終日在宅したことなどが書かれている。
乙未七月五日・甲午六月五日などの日記断片で、柴田氏・久保田氏・中村・小山斜氏への訪問や不在、政府重要事項終了などを記す。
判読困難な断片的記録で、病気見舞いや暇乞い、移転・出船予定、来訪者、日清媾和條約や芝罘に関する記載が見える。
天皇・東宮殿下、十月五日の明石や広島行き、博覧会予定、宮邸面会などを断片的に記した日誌風資料。
五月二日・二十日・三十日の日記断片。博覧会見物、夜のイルミネーション、発送予定変更、派帳の件や年表的記載がある。
明治四年十月十五日の日記風メモ。家の借用、費用受領、外出・面会、午前九時以降の移動と乗艦、不快な就寝などが記される。
五月十七日の記録で、公館・渡押への訪問、小幡大垣らとの協議、竹ノ内同行、平賀興存訪問や諸氏への礼状発送が記されている。
入渠のため錨地を船坪前へ移し、艦長からトリム計算を命じられた記録。宗志中尉との面会や渡部泊、書簡送付も記す。
「十月四日」「十二月五日」の日誌断片。朝の帰艦、モーアリング配置のスケッチ、入場用トリい計算、手紙や来訪者の記録がある。
五月の雑記で、蒸飯餅や「コトヲハ」の計算、政務裁判報告、俸給三二、二五〇、通達、来書、来訪などが記されている。
「京部美術協會創立十年紀念會」等の断片と、午前入帳・上陸・帰艦・点検・玉子副長の乗員紹介などの行動記録が記される。
明治□□年□月□日や十二月五日などの日記断片で、武蔵の件、遠徹湖、来訪、出発、帰艦などが記されている。
「九月二十五日」「八月二十五日」等の日誌断片で、武蔵回向の調査、トリム計算、皇后陛下御誕辰、南洋艦、三井手紙などが記されている。
六月十三日までの日記断片で、海軍拡張案の衆議院通過、上陸や来訪、武蔵の報告用調査、公試と墓参の相談などが記されている。
「花鳥春秋」の一頁。花菖蒲の名所、大祓、蛍狩り、漁猟案内、夏の季語・食品月令などを記す。
判読不能箇所が多い日誌断片で、水曜日のカット島・アタタ島守での公議運転、入港、六日の行動や数値類が記されている。
断片的な日記・記録の一頁で、五月六日・四月六日の行動や来訪、東京天文台設置・海軍清征らしき記述があるが多くは判読困難。
六月から七月六日にかけた日記風の断片で、佐世保、帰艦、会議、来訪者、移動や雑件などが判読不能箇所を交えて記されている。
九月六日・八月六日の天気や行動予定、渡部との別れ、帰艦、返電や届出などを記した断片的な日誌風資料である。
6月10日・16日の航行記録で、家島出発、底吹島通過、佐世保入港予定などが記される。平均速力7浬、十二浬の記載もある。
明治二十七年頃の手帳・日記断片。佐世保入港、諏訪との面会約束、佐久守弔問、六月三十日などの雑記が記される。
義和団擾乱に関する断片的な資料で、外務省報による清国情勢や「富士」航行、日時・人名らしき記載が混在している。
十六・十七日の記録で、午前八時に堀田島中区清島中へ着き水雷を発射し、正午ごろ馬山城へ至り帰艦した旨が書かれている。
十月六日の日誌断片で、出雲大社付近を遠望して回航し、海上は穏やかだったことや、大砲関連の記述、加露へ向かった時刻などが書かれている。
12月6日の記録で、加露入港・賀露への帰航、うねりによる移動、7日の入港や市中散歩、鳥取行きなどが書かれている。
判読不能箇所の多い記録で、年月日・天候・潮・金額・人名が見える。午前九時、午後五時の行動や盛太郎氏、軍艦、氏丸一泊の記載がある。
十二月十四日・十五日の天気や数値、木曜日の「隆眉開始」「隆戦準備」、夕方の帰艦、午後の公議での発言などを記した断片的記録。
原本写しの断片で、六月二十七日・二十六日の記載がある。庭の情景、中鳥荷法(オキ国)に関する事項、午後三時投錨し隠岐へ向かうことが書かれている。
六月二十八日・二十九日の天気や「義戦隊が帰宅」などを記した断片的なメモで、昭和・江雪・二年・十三年の短文も含む。
六月十日の隠岐島前坂脇付近や艦隊運動、新条約実施の勅語、年中行事、夏の花鳥・食品月例などの断片的記載。
判読不能箇所が多い断片的資料で、二月の亀嶋境外での艦隊軍部・砲兵政監等の記述や、冨士・金剛など艦名が見える。
九四月七日土曜日の日記風資料で、朝の帰艦、午後の漁習終了、九航・富士の出電、砲兵行動や入港、一泊などを記す。
七月五日・六日の天気や干支、天皇に関する断片的記録と、午前十時に三艦が金石へ入港したこと等を記す資料。
七月十五日・十六日付の記載があり、烏虫野六畝男、豊六の名が見える。年賀状発送後、九日に逝去との通知を受けた旨が書かれている。
十二月七日・七月十九日の天気と干支・時刻を記した断片的な日誌。三宅よりの通信らしき記述や暗号風の語句がある。
金曜日・水曜日の予定や「曳船の計算について七は左に示す」との記述、癸丑や判読不能箇所、天気・数値が混在するメモ。
七月二十五日「甲寅」などの日付と天気、豊島海戦記念日等の記載を含む断片的な日記風メモ。
判読不能箇所が多い航海・作業記録風の資料。午前7時、午後の曳航、ファゾム、天気、水曜、裕男(手紙)などの断片が記されている。
七月十三日付の歳時・行楽案内風資料。蓮・温泉・秋草・二十六夜待、各地の祭礼、食品月令、俳句風の句や末尾の雑記が記される。
二月八日の雑記で、岡鳳・鶴翠の句や京城入城・対清宣戦などの記録、福井への返答・発信、風邪、手紙、帰航を記す。
六月八日や四月八日、午前八時・九時などの記録で、大艦隊運動、災害、速力八海里、青初入港や上陸出発が書かれている。
嘉永元年、六月八日や五月八日の断片的記録で、富士・叡島・朝日、少将着任、対抗漁習での海砲などが記されている。
六月八日・八月八日の日記断片。札幌へ向かい松平肥を訪問、市中見物やコロブツクル遺物を見たことなどを記す。
旅行・滞在中の日記風資料で、松本らとの接待や市中散歩、夜の会談、四日午前七時半の汽車移動、橋本氏来訪などが記されている。
「郵便」「十」「八」などの記載と、松平(湯本)、松平(湯山)、延力八郎の名がある断片的なメモ。冒頭に明け方の渓谷や雨に関する短文も記されている。
十月八日・十月三十日の記載を含む断片資料。詩的な自然描写と、画館へ入り夕方に上陸し小畠少輔内七と塚泉へ行ったことが書かれている。
昭和二十年・三十年の出来事、八月十五日・十六日の行動記録、諏訪・石川訪問や帰艦などを断片的に記した資料。
十月七日・八日の行動を記した資料で、午前帰航、午後三時立津し舞鶴へ向かうこと、衆将の御運動などが書かれている。
「第□章 動天」と題する断片的な文章で、山水の描写や天正年の記載、十二月八日・十月八日の出来事、人名が書かれている。
十二月十一日・二十二日の手紙や会合、帰礼、帰艦に関する記録。松平、阿瀬野公、伯耆、牛奥小田、諏訪新庄、柴田らの名が見える。
八月二十三日・二十四日の演説や予定らしき記載で、福田沖、富士、終隊五般、修御運動夜揮砲砲唱合などの語が見える。
八月二十五日・二十六日の記録で、航行や入港、福田博の入演、福田沖での大砲在射、食事時刻などが記されている。
8月12日前後の航海・入港記録で、午前6時の行動、佐世保入港、水交社への散歩、伊万院湾で艦隊に合流したことが記される。
八月十三日午前八時帰艦、「スケッチ」「手紙」や湯代、手紙の宛名を記す。八月二十九日は諏訪と召武方に下宿し、午後近帆汽行した記録。
「生産」と題する表で、武蔵・高砂・新為・降間・敷馬などの項目に対し、2.430や3.250などの数値が列挙されている。
本文は「0」が連続しているだけのOCR結果で、資料名・日付・内容を示す記述は確認できない。