「昭和十四年不号課長」とあるSCRAPBOKの表紙または整理用紙で、ATLAS NO.1やPAT. PEND.、図番号欄らしき記載がある。
「二十一」「第一」「十四」「技術」「政府」「新聞」などの語と、四十四年三月・四月や十日・十一日らしき日付が断片的に記された資料。
四月二十一日付記事。蠟山教授辞意後の東大法学部・経済学部の動向、平賀総長や田中・土方学部長への責任論を報じる。
平賀総長の処分・大学刷新をめぐる記事で、東大経済学部・法学部の辞表提出や責任問題、文部当局の対応を論じている。
東大騒動の行方をめぐる経済学部の内情記事。再建へ新人抜擢や長老の賛意、演習生の慰留決議、舞出学部長の発言を記す。
東大總長問題をめぐる紛争の記事で、山崎嘉次郎博士宅への関係者訪問や文部省の總長支持、辞職者十四名などを報じている。
東大経済学部再建問題を報じる新聞記事。平賀総長の決意、優教授・河合教授らへの対応、卒業試験・入試、各大学の反応が書かれている。
二月二十一日付の平賀粛学をめぐる記事で、両派十三人辞任、教授会・国会での議論、再建課題や書籍広告断片を載せる。
「両派の十三氏が辞任」と題する大学紛争記事。平賀粛学支持、教授会・大学自治、蝋山教授辞意や河合教授休職を報じる。
帝大経済学部事件をめぐる議会での文部大臣答弁と、舞出学部長による学生への試験実施・当局信頼の訓辞を報じる記事。
「議會に於ける文相の答辯」。經濟學部問題に関連し、河合教授休職、學生処分、大學内規改正、肅學方針について述べる。
河合教授処分をめぐり、東大法学部教授会で田中法学部長の責任や大学自治、平賀総長の粛学方針が議論された経過を伝える資料。
「スターリン肅淸を思はしむる平賀肅學」と題し、東大の平賀肅學を批判的に論じ、土方敎授の處分や分限委員會付議を報じる記事。
昭和十年「紀元節祝賀式」と東大再建問題の記事。河合・土方教授処分や分限委員会、法学部教授会の協議状況を報じる。
東京大学経済学部問題で土方成美教授の休職が発令された記事。分限委員会の審議、平賀総長の具申、両学部長の進退への注目を伝える。
平賀総長の具申に基づき土方成美教授の休職を文官高等分限委員会が可決し、東大粛学と経済学部問題の経過を報じる記事。
学内紛争に伴う土方教授の休職処分と、土方氏の心境を記す。有田外相の商甫島占領に関する説明や「ゲラ刷り」事件にも触れる。
東大経済学部の土方教授について、学内紛糾・綱紀紊乱の責任を問い休職処分とした記事。十三日の文官高等分限委員会、閣議、上奏を経て発令された。
八月十四日、東京帝国大学粛学問題の第二段階として、経済学部長人事や辞表提出者の扱い、再建方針を報じる資料。
東大「平賀粛学」第二段階入りを報じる記事。平賀総長と荒木文相の会見、経済学部長交代や辞表組十四人の扱い、再建人事が述べられている。
昭和14年2月10日の「帝大問題の波紋」。経済学部粛正と土方成美教授休職をめぐる批判、14日の東大評議会の総長支持を報じる。
「帝大問題の波瀾」と題する記事で、平賀總長の經濟學部肅正をめぐり、土方教授休職處分に革新派が反発し文相への働きかけを論じる。
士方技師休暇命令に端を発する東大問題の記事。十四日の評議会で平賀総長が真相報告と大学・経済学部再建方針を示し、荒木文相との会見や舞出学部長の去就も述べる。
東京帝大評議会後、平賀総長が経済学部の宿弊一掃と学風刷新を表明し、評議会の支持や特別講座開設が報じられている。
平賀粛学の第二段階を報じる記事。十四日の東大評議会で休職処分が支持され、平賀総長が経済学部再建方針を語った。
二月十五日の「平賀粛学」報道で、平賀総長が経済学部再建の決意を表明し、評議会の支持や特別講義開設方針が記されている。
二月十六・十七日付の東大経済学部再建記事。平賀総長の特別講師招請案と、革新派分裂、法学部教授会の協力方針を報じる。
「肅學より建學へ」と題し、東大をめぐる改革や教授會、總長と荒木文相の関係などを論じた昭和期の新聞社説頁。
「肅學より建學へ」と題する社説で、東大問題後の記録として荒木文相や総長、教授会に触れ、大學改革と總長の地位を論じている。
東京帝国大学六学部の卒業式記事。二千余名が卒業し、平賀総長が国家重大期の覚悟と「至誠」を訓示した。
四月八・九日の東大經濟學部再建後の入学式・始業式の記事。平賀總長の訓示や山崎顧問の談話、講師陣容の発表を伝える。
東京日日の記事要約で、再建中の経済学部講師陣決定や特別講座設置、橋田邦彦著『行としての科學』の紹介を記す。
「日九月四年四十八日」の新聞記事で、再建経濟學部の講師陣容として元藏相・賀屋さん、壽府歸りの北岡さんらの講義内容や談話を伝える。
1939年4月13日頃の新聞記事OCRで、東大第六十二回創立記念式における平賀總長訓示と、經濟學部問題・國體本義に関する発言を伝える。
昭和14年4月13日付「肅學の跡を顧みて」ほか、東大第六十二周年創立記念式での平賀總長訓示を報じ、經濟學部問題や大学の進むべき道を述べる。
1939年12月29日の記事で、東京帝国大学経済学部の再建完了と五人の新鋭任命、1939年の帝大の横顔や粛学再建の一年を述べる。
戦争の方向を決定づけたものや社会、同社医学会所、高崎村の話に触れた断片的な資料。活性や「第二七八万」などの語も見える。
一月八日付「新日刊」の記事断片。河合栄治郎教授召喚、経済学部再建、紀元二千六百年記念事業や六十年史刊行などを報じる。
昭和十五年一月の記事群で、河合榮治郎教授召喚、本学の二千六百年記念事業、経済学部再建、六十年史刊行などを報じる。
15-2-29の記事で、東京帝国大学経済学部長に森荘三郎教授が内定した経緯と、学部再建・卒業式対応などを報じている。
昭和十三〜十四年に進められた經濟學部再建完了の記事。森學部長就任、教授會成立、指導教官制や學科統合などの改革を述べる。
経済学部再建完了を報じ、森莊三郎教授の専任學部長就任、教授會成立、平賀総長談、壯丁思想調査実施要綱を掲載。
昭和十六年四月十四日、経済学部が経済学科と商業学科の統合へ向け、指導教官制を実施する新体制を報じる資料。
「指導訓育に重点」と題し、天皇陛下行幸後の法学部の方針と、森莊三郎学部長談として指導教官制度の設置・運用を述べる資料。
河合教授らの筆禍事件控訴審有罪判決を中心に、菓子製造業者整理、経資料室充実、佐々木清綱氏任命などの記事を記す。
河合、土方両氏の処分と鳩山教授辞意をめぐり、平賀総長の東大改革に思想批判不足を指摘し再考を求める論説。
OCR本文は「000…」の連続と「11」「(2)」のみで、資料名や内容を特定できる記述は確認できない。