数字列「3123456789」と、多数の「0」の連続のみが記されたページ。資料の題名や日付、具体的内容は本文から確認できない。
本文は「0000…」のみで構成されたOCRページで、資料名・日付・内容を示す判読可能な文字情報は確認できない。
「小屋敷」とだけ記された資料で、本文中に日付・人名・艦名や内容説明は確認できない。
「成」とある断片で、二十八年の天皇出征時の朝儀、五十年の刑法・治靜法実行、中村操氏来訪、文元五年の人物誕生などを記す。
明治元年や十二年八月などの断片、和歌・漢詩、雑事、思想、社会の出来事、天候を雑記した資料である。
明治十五年の軍人勅諭、皇太子嘉仁親王の陸軍歩兵大尉任官、楠正行の四條畷戦死、台湾疫病などの雑記。
安政元年のペルリ琉球到着やリンコン奴隷解放令、佐藤信淵死去など社会の出来事と、「得た思想」として漢文調の教訓を記す資料。
「すな乳腫管菌な許に最ふ事」と読める断片的なOCR本文で、資料の種類や内容を判別できる情報は確認できない。
明治二十八年の雑記頁で、日本赤十字社の英国赤十字社への寄付、箴言や漢詩、社会の出来事、得た思想などが記されている。
安政六年に長崎・箱館・横浜で実際の交易が始まったこと、文久二年に大橋順蔵らが横浜の外国人襲撃を企て捕らえられたことを記す。
春の夜の月や梅の香りを詠む断片と、「新高」「新しい思想」などの語句、英国博物館開館や慶応元年の長州に関する年代メモが記されている。
安政元年の江戸海防強化と外国人への備えを記す資料。嘉永五年のイギリス人来琉、廿二年の通水も社会の出来事として挙げる。
安政三年頃の雑記・日誌断片。女性の慎みや善行、新約全、詩文、散歩、東憲稽古、天候、社会の出来事、聖書の言葉などが記されている。
元治元年・応応二年の関所廃止や検印販売禁制、日記風の天候・人物記録、和歌・詩句、思想や社会の出来事の雑記。
「東坡」と題する詩文・思想メモで、山川と城郭、町の人々と烏や鶴を対比して記す。晴れ・厳寒・地震・中暑、二十三日などの語もある。
「二十四日」の雑記で、スマイルスや杜甫の引用、倫理講説「君に仕えて忠でないのは孝ではない」、時間に関する格言などを記す。
霞やもやの自然、梅花の夢を詠む文と、二十七日の語録、27(1795)雑事、社会の出来事、小松宮殿下の記事などの断片的記録。
黄山谷、柳宗元、カリフォルニア探検家などに触れた雑記。二十八日・二十九日や(一八四一)の記載があり、思想や訓戒を写す。
OCR結果では文意を確定できない資料です。「コルト」「放翁」など一部の語のみ判読でき、全体の復元は困難です。
「一月廿計表」とのみ記された資料で、一月二十日の計表を示す表題とみられる本文が確認できる。
文久元年(三三)、関東の浮浪者を取り締まる方針を決定したことを記す資料。方針決定の事実が簡潔に述べられている。
人生観や登校・行動記録、社会の出来事を雑記した断片。リヒテル、コルトンの引用や家兄上京の記載がある。
清盛の死、永嘉四年・五年の出来事、社会の出来事や思想・雑事に関する断片的な記録。墓後の世界や真理の容貌などの文章も含む。
「ジョンソン」「社会の雑事」「定家」と題した断片的文章。荒地や月夜、白潮、犬や豚の描写などが詩的に記されている。
OCR結果は英数字や記号が多く判読困難だが、「合計 百六十八」「杜子美」といった語が確認できる資料ページ。
(二十八年)の記述で、大安寺の純威が海を守って死闘すること、杜子美や京總物が正フパーア宗教のために焼き殺されることが書かれている。
「本日は憲法発布の日(明治二十二年)」と記し、金札発行の趣旨と通用強制(明治元年)、ミラボー誕生を挙げる暦日記事。
廿八年に丁秋昌、劉、張が自殺したこと、レンヘンスチングの弾が効き始めたことを記す断片的メモ。杜甫の名も見える。
元治元年の長崎・函館開港勅許、明治二十年の森枝文部大臣への正二位追贈と金幣下賜、明治十年の田縣挙兵を記す。
漢詩風の文章と、「正しい良心が精神において占める位置は、健康が肉体において占める位置のようなもの」との格言を記した資料。
「何橋厚」と記された資料で、(廿八年)第二軍と海軍に勅語を賜ったことが書かれている。
郡清甫による提出案の一部で、追加経費として軍事費一億円を記している。末尾に判読不能箇所がある。
二十三日の記録で、「一粒の麦」の句、夜の地震、勢州部の大会参観、社会の出来事などが記され、末尾に判読困難な語句がある。
「57(1794)」や「ナポレオン」などの語を含む断片資料。北京から便りがなく、白髪となった身で故郷への帰路を詠む詩句が記されている。
査初白の白雲と楚山・湘水を詠む漢詩風の文と、「怠け者よ、蟻のところへ行け」と知恵を説く箴言が記されている。
琵琶湖疏水の第一隧道が、二十年に開通したことを記す資料。本文には「11」の数字も記載されている。
「61表計會月二」とのみ記された計表または会計関係資料の一部で、本文に具体的な内容や数値の記載はない。
「63 大平山における退撃兵数」と題する資料で、27年に臨時総選挙を行う旨が記されている。
作文宿題や詩句、思想・社会の出来事に関する覚書のページ。春を詠む文や「世界の歴史は一つの詩歌である」などが記されている。
文久元年などの断片的な記録や漢詩風の文章、思想・社会に関する格言を混在して記した資料。板瀨姉上からの運送にも触れる。
「營口略 八」と題する雑記頁。紀元節、東開司令官慰労会、渡部吉太郎訪問、和歌、社会の出来事や雑事などが記されている。
後柏原院、アジソン、後九條内大臣に関する引用・記述の断片。忍耐を諸徳中最も美しく尊いものと述べている。
明治二年、廿二年、廿八年などの出来事や漢詩・ことわざの引用を記した雑録。八重山號進水式、杜牧、ローマのことわざ等が載る。
「宋壺山」と記された資料で、本文はこの語のみから成り、他の説明や日付・数値などの記載はない。
杜子美の詩句や格言、炭鉱火災・挙兵平定・衆議院開院などの社会記事、松本氏訪問や自修事項を記した日誌風メモ。
八月二十年・七月二十年の断片的な日誌またはメモで、漢詩風本文、聖書句、事業への警句、人名や社会の出来事が記されている。
「韓退之」と題する明治二十八年の記述で、大理院権大属の陸奥宗光・伊藤博文や全国十二師団配置への縮小、添付手紙への言及がある。
「雑」二十三日の頁で、日暮れの川と村の情景を記し、ジョンソン(1883)の「命令」に関する言葉や「思想」「社会の出来事」等の項目が書かれている。
明治二十八年の皇后陛下から李鴻章への帯下賜や小山六之助の負傷事件、弘化四年の信州・越後の雲、大阪地価修正集会などの雑記。
明治二年・元治元年・安政元年などの年表断片と日訓、往来の漢詩風文句、雑事・報告等の項目が混在する頁。
明治2年・22年・27年の日付や「戸籍のない者」「御職務委員会」「三番頭丸」などの語句を含む、雑記・記録断片の資料。
周菊嵩「フエルタム」の雑記頁。大正八年の休戦協定、大正七年の朴泳孝拘留など社会の出来事や詩句、格言を記す。
三月二十日の計表。四月の日の出・日の入り時刻のほか、豌豆スープ、キャベツプディング、レモン水、水飴、馬鈴薯羊羹、虻蠅除けの方法を記す。
「(年八廿)(に京四)式會開會覽博業勸國内」とある雑記の頁。四月一日の項に、新約書の「忠実」「忍耐」「練達」「希望」に関する引用を記す。
1865年に自由貿易港の首領コプデンが61歳で死去したこと、28年の李経芳、27年の第一予備金補充費用の勅令などを記す資料。
本文は「社会の出来事」と題された資料で、内容の大半は判読不能。「蟲甫舟」と読める語が記されている。
明治十五年の板垣退助岐阜遭難、皇太子殿下の葉山避暑滞在、チャンニング誕生、蜀山人死去などの記念事項を列記した資料。
「総督府の進発を延期する(廿八年)」など、明治五年の戸長改称、文久二年の平野郎上書と二条城での討幕議論を記す資料。
「(年八廿)」と読める日付断片と、「開判請」「最後」「傷負」「草鴻李」などの語句があるが、本文は短く判読困難な資料である。
明治期の政治制度や事件に関するメモ。旅順の大総督府、明治二年の議政廃止と議事取調局設置、明治七年の江藤新平について記す。
明治二年1月9日の禁止事項、浮草に関する短文、社会の出来事として漢文風の記述や1865・1877年の年記がある資料。
支那との講和条約成立、フランクリン死去、ルーチ誕生を記し、黄鶴楼の詩文や松本勇次郎氏訪問にも触れる日誌風の記録。
「二十七年」皇后陛下の横須賀軍港行啓と、「元和二年」徳川家康死去を記した年表風の資料。
改革の立役者ジョン・ウイクリツフ、ナポレオン三世誕生、明治二年の禁令などを列挙し、報い・思想・社会の出来事に触れる断片的メモ。
雨漏りする家や湿った煙、江南の岸辺の春の水、蓬の音を聞く釣り船などを描いた詩的な情景描写の資料。
「119(1577)」の記載がある年表資料の一頁で、清教徒の指導者クロムウェルの誕生が書かれている。
明治28年の天皇陛下の廣島出発・京都行幸や社会の出来事、杜牧の詩句・格言、行ったこと・得たことの欄を記した頁。
七月二十七日・八月二十日の雑記で、来訪者数や出来事、得たもの、思想、和歌・格言などが判読不能箇所を交えて記されている。
「第125表 4月会計」と題する会計資料の一部で、(28年)124、査初白、人数11万9か所などの記載がある。
明治二年の函館港での海軍戦、短歌「光俊」、天候や桂の帰着、野産隊訪問、五月一日の標語などを記した雑多なメモ。
明治二年の金札と正金交換禁止、廿七年の立憲平新区組織などの出来事や、東坡の詩句、成功に関する教訓が記された雑記です。
詩句や格言、人物名、「社会の出来事」「したこと」「得た思想」などの項目が混在する年表風のメモで、1873年等の記載がある。
明治二十八年や弘化元年の出来事を記した断片的な年譜・メモ。樺太と千島の交換、藤田東湖、グラッドストン、社会の出来事などが書かれている。
「雑件」と題する資料で、婢租条約の批准交換が済んだことの公報について記す。本文には「廿八年」「初白」とある。
年表・思想雑記の頁で、遼東半島返還の勅語、1796年エルリントン誕生、文久三年下関砲撃、大ピット死去などを記す。
明治二十七・二十八年の出来事や雑事を記した頁。日清講和条約・遼東半島返還詔勅、第六議会召集、思想句などを含む。
「(甲七廿)第六会議の開院式を挙行する」と記された資料。あわせて「叙載論」「論放翁」の語が記載されている。
1832年英国議会大改革通過、廿八年大阪ホテルでの和平祝賀会、離別を詠む漢詩風本文と「僧正選題」が記されている。
享保十年の新井白石死去、廿八年の花の記事と廣島での平和祝勝會、廿七年の神奈川縣移民保護規則施行手続を記す年表風資料。
「新約全書」の一節や漢詩風の訳文、雑作文・社会の出来事などの断片を含むページ。年号らしき「147(1780)」「(1506)」も見える。
「報道」「社会の出来事」「行った」「話題」などの語が見える断片的資料。二十八年、鎮治白、熊野等の記載がある。
明治五年・二十八年の社会の出来事や雑事を記した資料で、楠正成討死、大山第二軍司令官西京到着、東京の凱旋祝賀会などが書かれている。
明治十年「帝国教育大会の閉会」153頁。詩句や日々の行動・思想・社会事記、盲人の灯の譬え、明治二十八年の市形山大火を記す。
「THENTENTENTENTENTER」が2行と「TOTALEST」のみが記されたOCR本文で、資料内容を判断できる具体的な記述はない。
明治二十八年の日記断片で、天皇・皇后陛下の御凱旋・御還幸、杜甫・沈佺期の詩句、三十日の行動や雑記が記されている。
「五月合計表」と題する料理・家事メモ。スープ、林檎シャーロット、人参の保存、菜大根の即席漬けの作り方などが記される。
五銭の白銅貨発行について記し、参考として蘭政に書かれた鎖国の法を掲げている。文中に「蘭国の英英盟へ」や「青朝白」の語が見える。
文化元年のアダム・スミス誕生、嘉永六年のペリー来航、28年のガリバルディ死去や新発田大火など、思想・社会の出来事を列記した資料。
明治二十七年の通信・鉄道会議規則改正・香港への死病調査出発などの出来事と、四日・五日の箴言や漢詩句を記す頁。
趙漕南と韓退之に関する断片的な漢文調の資料。本文には「死ムザンベ者論利實」などの語句が記されている。
7月20日の出来事を記した雑項目のページです。「an」「11」などの記載があり、一部は判読不能です。
元治元年・廿七年・廿八年の断片的記録。金借入報道や布告、格言、漢詩、生活・思想・社会出来事の記入欄が書かれている。
明治二年の「むしせ分處」「生益号」捕獲取調べや、呉象之・林甫、十三日・十二日等の断片と漢詩風の道義批判を記す頁。
「〔1811〕雑事(廿八年)」の記録で、伊國皇族ファルツ親王の来遊、邊間岳の鳴動と降灰、「寶主妻」との記載がある。
「(年八廿)に至る北臺占領の公報」ほか雑事・往来を記す頁。1775年米国パンカヒールの大戦争、弘化元年、定家の歌などを含む。
「十九日」の聖句風本文と、177・176(廿七年)の雑記。仏国のルカス・パ士高、李白、義昌の京城入り等を列記する。
明治二十七年・1894年の社会の出来事や雑事を記した頁。東京の大地震、日本撤兵拒絶、清兵増派、労働者運動や漢詩句を載せる。
明治二年の祭政一致、明治二十七年の李逸植ら死刑宣告や高等中学校改正令などを記した、雑事・社会出来事のメモ。
国民的大同盟への意向伝達・発表、フランス国大統領カルノー逝去(1891)、明治二年の九段坂招魂祭などを記した雑記ページ。
藤東坡「金」に関する断片的な記述で、事業に取り組む価値を賢者・愚者の行いにより述べる。片竹午様、中村様らの訪問にも触れる。